播州織のお話

播州織のお話

 

本日は播州地方の播州織についてお話したいと思います

 

 ・播州織「ばんしゅうおり」とは

 

播州織とは兵庫県西脇市を中心に生産されている、200年以上の歴史のある生地です。

一番の特徴は先染め織物という技法を用いており、先染め織物とは、先に糸(繊維)の段階で色をつけて

その色糸を使って様々な模様に織り上げる手法を言います。

 

先染め生地の特徴は

 

繊細な柄を表現できる

糸そのものに染料がしっかりと入っている為、より深い色味を再現できる

色落ちがしにくい

後染めと比べて水を使う量を抑えられるので環境に優しい。

 

といったものがあげられます。

先染め織物の生産は播州産地が全国の約7割を占めており、また、世界的に有名なブランドも播州織を採用し、世界からも高い評価を勝ち取っています。

 

伝統技術に加え、トレンドも抑えた現在の播州織は、豊富なバリエーションが魅力的な生地です。

 

 

 

・播州織の歴史

 始まりは宮大工が技法を持ち帰ってきたことから

1792年(江戸・寛政4年)に当時*宮大工であった飛田安兵衛氏(とびたやすべえ)が京都の*西陣織から技法を持ち帰ってきたことが始まりと言われています。

現在の西脇市周辺にあった播磨国(はりまのくに)は、暖かい気候を生かした綿花栽培が盛んであり、

売り買いのためでなく、地元の人々のための生活衣類が自給自足で作られていました。

また、加古川・杉原川・野間川の三つの川が集まっており、糸を染めるのに必要な水が豊富だったことから、織物業が発展する基盤が整っていたのです。

 

宮大工の安兵衛は寛大臣神社(かんだいじんじんじゃ)の再建のためにいた京都で織機制作を習得しました。はじめは、播州織のことを「寛大臣縞」がなまり「勘大寺縞」(かんだいじじま)と言っていましたが、後に「播州縞」(ばんしゅうじま)と改名しました。

この織機の技術が導入されたのを幾度に、織物業は農家の副業としてどんどん普及していき、江戸時代末期には*工場制手工業の段階となり、産地に発展しました。そして明治時代後期には力織機が普及され、家内工場から工場生産への移行をきっかけに多可地方が中心の生産だったのが西脇市へと変化します。またこの頃に「播州縞」から現在の「播州織」と改名されました。

 

繊維産業の黄金時代へ

大正期に入り鉄道が開通されると、輸送力が強増し都市部での消費が増加したことから、播州織の存在は全国へと広がっていきました。

第一次世界大戦までは主に国内でしか出荷をしていませんでしたが、関東大震災で横浜港から神戸港に輸出港の中心が変わり、大戦後は海外販路を拡大し輸出が主体の産地へ変わりました。

そして、1950年朝鮮戦争後を機に、機械が「ガチャン」と音を鳴らせば、一万円の儲けになるといわれた「ガチャマン景気」と呼ばれる繊維産業の好況が始まります。

 

海外志向から国内市場の拡大 

しかし好景気は長くは続かず、ドルショックやオイルショック、発展途上国の技術の発達により中小企業が中心だった産地は、徐々に打撃をうけるようになりました。

さらに、1985*プラザ合意の影響の急激な円高で、輸出が主体であった産地は厳しい状況におかれ

海外志向から国内市場の拡大に注力をおきました。その後も事業環境は低迷しましたが、従来の力織機から革新織機に移行や、多品種・小ロット・短納期に対応できる生産体制づくり等、次世代へ繋がる新たな取り組みが始まりました。

 

現在の播州織

現在の生産量はピーク時のわずか3%ほどにまで落ち込んでいます。

ですが、ITを駆使した生産や品質管理をはじめ、地域活性化に向けた「播州織ファッション地区事業」の展開、さらに、多種類の材質・太さの糸を繋いで織物を連続生産する世界初のシステム「アレンジワインダー」の開発に成功しました。この開発は平成17年に、「第一回ものづくり日本大賞」で最優秀の内閣総理大臣賞を受賞し、繊維産業の復活を目指す画期的なシステムとなりました。

このように、数々の試練を乗り越えてきた播州織は、新たな取り組みを次々と展開し再び栄光をつかもうと努力をしています。

伝統は時代に合わせて進化し受け継がれるもの。播州織はまだまだ進化していくことでしょう。

まずは手にとってみるところから、播州織を応援してみませんか?

 

宮大工とは神社仏閣などの伝統建築を手がける職人のことです。

西陣織(にしじんおり)とは京都府京都市街の北西部で作られている絹織物。西陣とは京都の北西部(上京区、北区)にあたる地域の名称で、西陣の織屋(織物業者)が製造する織物を西陣織といいます。参照  <https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/nishijinori/>

工場制手工業とは資本家が工場を設け、賃金労働者を集め、分業と協業による手工業で製品を生産する方式。まだ機械は使われていない段階で、資本規模も小さい(商業資本)が、資本と賃労働という「資本主義経済」の基本的要素がみられ、資本主義の最初の形態と考えられます。貼り付け元  <https://www.y-history.net/appendix/wh0904-027.html>

プラザ合意とはドル高を是正するため、1985年9月のG5(先進5カ国蔵相・中央銀行総裁会議)で発表された為替レートの安定化に関する合意のこと。これにより協調して円高・ドル安に誘導されました。開催場所となったニューヨークのプラザホテルにちなんでプラザ合意と呼ばれています。貼り付け元  <https://www.smd-am.co.jp/glossary/YST1626/>

 

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